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【佐々木小次郎】 巌流島の決闘に隠された真実?

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今回は不運な天才剣客、佐々木小次郎を簡単に紹介したいと思います。佐々木小次郎と言えば、宮本武蔵との巌流島の決闘が有名な話です。この戦いで二刀流の宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎ですが、実は彼についてはわからないことが多いそうです。出生地、年齢、剣の腕、容姿、あらゆる説が存在してよくわからない人物ですが、簡単に説明して行こうと思います。最後までお付き合いしてくださると、とても嬉しいです。

 

一般的に知られる生涯。


出生地は、現在の福岡県もしくは福井県とされています。美青年で「物干し竿」と呼ばれる刃身が特別長い刀を扱っていました。武者修行の果てに「燕返し」を完成させた佐々木小次郎は巌流と呼ばれる流派を創設して、西国の最強の剣士と呼ばれました。1612年、巌流島で宮本武蔵と決闘をして、18歳でその生涯を終えたとされています。

 

容姿


美青年であることが一般的ですが、江戸時代の絵本では、佐々木小次郎は髭が濃いおっさんとして描かれ、逆に宮本武蔵が美青年として描かれています。また、巌流島での決闘時点での佐々木小次郎はおじいちゃんだったとされる説もあります。冨田勢源の元で修行を積んだなら、巌流島の決闘では七十歳を越え、鐘捲自斎に師事していたなら50歳は越えていたとされます。これは佐々木小次郎が生前の彼らに師事するには、巌流島の段階で18歳では、矛盾が生じるからです。

 

暗殺説


佐々木小次郎、もしくは妻であるユキが隠れキリスタンで幕府によって暗殺された説があるそうです。それが巌流島の決闘に繋がったとされています。1549年フランシスコ・ザビエルによってキリスト教は布教されて、織田信長、豊富秀吉の時代は容認されていました。しかし、1609年に起こったマードレ・デ・デウス号の事件をきっかけにキリスタン大名による汚職事件が発覚して、江戸幕府は禁教令を出しました。理由は、人身売買を強く恐れたからです。キリスト教の宣教師は強引に布教しては、少年や少女を拉致して売買する、銀の輸出、仕舞いには布教した国を植民地にする動きを幕府は知っていました。そのためにキリスタン大名が切腹されたりと、キリストを強く禁止される時代が始まりました。いわゆる鎖国の時代です。

このような時代背景に佐々木小次郎も巻き込まれた説もあるそうです。

 

まとめ


実在したか疑わしい佐々木小次郎。お墓は山口県に存在するそうなので実在はしていたのではないでしょうか。謎が多い人物です。

 

最後までありがとうございました。